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サーカス小屋のロバ2011 / 07 / 06 ( Wed )
ぼくは
悲しい眼をしたロバを知っている ぼくの知っているロバは背中の凹んだ茶色いロバで 逃げないようにロープにつながれていた 夏休みが終わると つながれていたロバがいなくなった きっと次の街に行ったのだろうが 寂しかった もっと彼と話をしたかったけど ため息のもれる彼の口元を見てると辛くなった 凹んだ背中を持つ働き者の彼は ぼくの友達だったんだ 話しかけても返らない面影色の空に ぎこちなくさまようぼくの口笛 ぼくの居ない独りぼっちの遠い街で きみは何を想う 「うなだれるなよ!上を向け!」 . . . . . . . . . . . . . . . . ぼくは やさしい眼をしたロバを知っている ぼくの知っているロバは胸をはった強いロバで 一座を支える 力持ちで 心の清いロバだった |
コメント
ちょっとセツナメで、暈しがきいた絵の感じ。
のすたるじっくなイメージも誘う。 やっぱり、優しいんですね。
優しいなんて、あり得ませんね。
余裕がないですも、心に。 自分勝手の日本代表。笑 そして、泣き虫の世界大会出場決定! そんなこんなで。 HOBO
HOBOさんが描く詩の世界って
宮沢賢二の世界観にも似たような そんな印象を時々感じます この詩もロバが背負った悲しみを思わせる 情緒的で素敵な詩です
世界観というのは技術だけでは創れない域だと
思うのです。人間観とも言えるかも知れない。 どちらにしてもHOBOはそんな立派級なものじゃあない。 ただ、ぼくは曲を何年も創ってきて「絵」の見える物語 という「課題」があったからね。絵がみえて、しかし、それは 視角にうったえるものではなく、それぞれの想いにたどり着く、 そんな感じかな。 ロバはぼく自身。ロバの悲しみは「ぼくの悲しみ」なんだと 思う。 HOBO
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我慢強く
力持ちで 寡黙な働き者のロバ。 優しい目をした生きもの。 僕の友達だったロバ・・・・・。 読む人の多くが、 この詩のロバに、誰かを、あるいは自分自身の影を 観るのではないでしょうか。 「ああ、このロバは私だ!」とか、 「ああ、このロバは、あの人だ!」とか。 「ああ、この『ぼく』、というのは自分のことだ」と 感じる人もいるかもしれない。 読む人にそういう風に感じさせる詩は、 優れた詩なのだと思います。 私自身の中にも、ロバさんが住んでいます。 特定の人ではない、特定のものでもない、 いわば漠然とした「想い」でしかないのですが、 ずっとそれに親しみ、慰められている。 けれども、このぼくとロバのように、 いつか別れの時が来てしまったりするんですね。 別れを告げることさえできずに、引き離された場合もある。 夕暮れの空に、お互いのことを想う。 人はこういう、自分自身の中にある、ロバさんとの 出会いや別れをいくつ繰り返していくのでしょう! 普遍性を持った、忘れがたい歌だと思います。 コンサート、いかがでしたか。 今日はHOBOさん、歌ってらっしゃるんだなあ、と 昨日一日思ってました。
こんにちは。
見送るのは寂しくて辛いものですね 何も語らず、人知れず、去って行く こころにぽっかり穴があいてしまったような ひとり、取り残されたような むなしさ、寂しさにおそわれます また、出会いもあるのですが 少しの時を与えて下さいという心持ちになりますね add 歌は音楽は良いですね、国や人、言葉を超えて 感動をあたえ感動しこころを幸せにみたしてくれますね
コメント有り難うございます!
ぼくの中ではロバは働き者で強くやさしく、そして我慢強く。 そう、沈丁花さんの言う通り、自分に当てはめて。 馬やロバ、犬なんかもそうですが、人に仕えると言ったら偉そうですが、 眼がやさしく、少し媚びたり。 ライブは無事終了。緊張感のある時間。やはり歌はいい! ぼくのギターも嬉しそうでした!ぼくの歌はぼくの歌でした。 仕事に戻り現実を見詰めるとなんかイヤになっちゃいました!笑 ただぼくはHOBOなんだと言い聞かせ、今日一日を。 ぼくの言葉たちを囲む空気がたまらなく好きで、ライブはやみつきに なりそうです。たくさん曲を作ります。そしてまた風に会いにどこの 街にゆくのか、HOBOはそんな暮らしが好きでしかたありません。 だからHOBOなのですね。 HOBO
いつも有り難うございます!
やはり相手に合わせる歌を唄うと聴き手にも歌い手にも発見はありません。。 あるのは懐かしさだけ。歌に新しいも古いもないですからね。 新しい「気づき」がないと。 ロバはいつか報われるときがくるとは思っていないと思います。そんな こと思える精神力があるのは人間ぐらいで、だから人間はもっと自分 以外のものにやさしくなれたらなと思いますね。 ライブで気づいたことがありました。 ひとのためになるということは、自分の成長がなければできないこと なのかなと。というか、聴き手がなにを求めているのか、古いものを 古いものとして懐かしみ思い出し、まるで昔のアルバムを見るように。 また、古いものだがそこに自分なりの何か発見や気づきがあれば。 「歌」そこに存在するものじゃなく、歌い手が生んでいくものだと思いますね。 そうじゃないとね、聴き手も歌い手も育たない。 HOBO |
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