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捨て去るものを抱いて〈再投稿〉

外套の襟をたてて
わたしは海のある街を目指していた
中也の詩集をポケットに入れた
空席の目立つ夜汽車に乗った
こころ踊る旅ではなく
過去を捨て去る場所を探して

海のある街は静かだった
ターミナルが駅の前にあった
バス停のベンチに座り込んだわたしは
緑色の車両を眺めていた
それが最終のバスであることを知ったとき
わたしは空に足かせのような風を見た
寒い夜だった

時刻表に眼をやり始発の時刻を確かめた
まだ遠い春の朝には少し間があった
薄暗い月灯りを探した
ポケットの彼を呼び出した
相変わらずそれはいつもの中也で
旅の友と呼ぶにはとても眩しい
ふるえながら口ずさむ歌のように
汚れちまったかなしみは
長く遠い朝だった

わたしは次の街を目指してバスに乗った
次の街に待つ人など居ないことも
紛れるにはちょうどよい場所だろうか
ただ静かにたたずむ時のなかで
わたしは風に問いかけるのだ
バスの窓から捨ててしまおうと
過去という重い荷を取り出してみる
しかしそれはとても寂しそうな顔をして
わたしの指から離れない
躊躇するわたしのこころに
刺さるような風が吹く
遠く寂しい途だった

わたしは生きていた
どこから見てもわたしだった
捨て去るものを抱きしめるとき
わたしはわたしになったのだ
もうこの旅を終わりにしようか
紛れて生きることはない
そんな場所などないのだと

捨て去るものを抱いて
わたしはわたしになったのだ
わたしの指から離れようとしないそれは
わたしそのものだったのだ!
バスを降りよう
降りてしまおう

捨て去るものを抱いて



10:40 | VERY VERY !!! | comments (6) | page top↑
旅の途中で途方に暮れたら。 | top | 風は知っていた

コメント

# ああ、中原中也!
私もボロボロになった文庫本、持っています。
高校の頃、私はクラスに女子一人でした。
話す相手もいない私に、数学の若い先生が、
中也の詩集を貸してくれました。
痩せて青白い肌に唇だけがなぜか赤く、
いつも胃の辺りを手で押さえて、ひょろひょろ
廊下を歩いていました。
返しに行ったとき、?という顔を一瞬して、
それは詩の感想を求めたのだったのでしょうが、
若くて馬鹿だった私は、「あまりよくわかりませんでした。」
という最悪な答えしかできませんでした。
「それ、持ってていいよ。」とだけ先生は言いました。

あれから40数年。
私がもう少し大人になって読み込み、だいぶくたびれた
その文庫本は、娘の手に渡ってさらに読み込まれ、
今は娘の愛蔵本の棚の中に入っています。

過去というものはどうしても捨てきれませんね。
抱きしめてやるしかないんですね。
すてきで、痛いような詩です。
by: 沈丁花さん | 2009/04/13 23:24 | URL [編集] | page top↑
# 沈丁花さんへ
そうなんですね、過去は自分そのものですから捨てることなど
できません。だから逆に強く抱きしめると、嬉しそうな顔をします。
中也にしても、ランボーにしても強烈な世界がありますよね。
かれらのそばにある風がいま臭うかのようにとてもリアルです。
沈丁花さん、ぼくはこうして詩のようなものを書いておりますが、
メロディーが聴こえるような描写をいつもこころがけています。
まだまだですがそこに完成などなく、終わりのない旅だとしたら、
やりがいのある作業だとつくずく感じます。
すきなことを極め、続けるためには、まず、健康!
生きていなきゃ続きません。
そうなんですよね、捨てきれない過去は、抱きしめてやるしかない
のです。そうなんです、沈丁花さん!

by: Mr.HOBO | 2009/04/15 05:20 | URL [編集] | page top↑
# ボタンが一つ 
こんばんは。
過去は時の経過と共に思い出へと.....
 
中原中也の詩は抒情的で独自のリズムがあり
透明な感じがします。
捨て去るものを抱いてを読んでいて
中也の「月夜の浜辺」の一節がこころにぽっかりと浮かびました。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、おちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけではないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

たった一つのボタンなんですがね.....

by: t.gray | 2009/04/17 22:43 | URL [編集] | page top↑
# t.grayさん
ボタンですか、素敵ですね。
波打ち際に。
最近また中也が読みたくなっていつもカバンに入れています。
谷川さんのもいいけどずいぶん性格のちがう詩集ですもんね。
以前に小室等さんが谷川さんの詩に曲をつけて唄っていましたが、
自分専用の詩人がいるといいなあと思います。目線が変わって
違うタイプの曲ができるからです。歌詞は歌詞、むずかしいものですね。

by: Mr.HOBO | 2009/04/18 01:40 | URL [編集] | page top↑
# 「月夜の浜辺」私も好きです。
伝説のフォークシンガー、友川かずきが、中也の詩に曲をつけて
歌っているCDがあります。「俺の裡で鳴り止まない詩(うた)」という
タイトル。「臨終」、「帰郷」などという詩のはなかなかいいです。

「戦争」の、「ゆあ~ん、ゆよ~ん、ゆやゆよ~ん」という箇所は、
中也自身が歌って聞かせたことがあると、小林秀雄だったか、
大岡昇平だったかが書いていた記憶があります。
中也はどんなメロディをつけていたんでしょうか…。
by: 沈丁花さん | 2009/04/19 00:31 | URL [編集] | page top↑
# おはようございます!沈丁花さん
 友川かずき、あまり知っているひとは少ないでしょうね。
声と唄いかたが好きになれず聴かず嫌いなシンガーのひとりでした。
中也の詩に曲をつけて唄ってるとは知りませんでした。イメージと
してはマシンガンのように攻撃的で激情型、そんな彼がどのように
中也をとらえて唄っているのか聴いてみますね。
 いろんな人たちが曲をつけている宮澤賢治の「雨ニモマケズ」、
つける曲によってどんなところにも飛んで行く、詩って奥深いなと
思います。詩の面白いところは、読み手がどんな解釈をしても正解
などなく、それは「感じるもの」で、「育つ」という意味では隙間
のある、読み手がそっとたたずむ「椅子」をもつ作品は良い作品なの
かなと。「美しい」という言葉をつかわずに「美しい」と感じさせる、
「愛してる」と言わず「愛されている」と感じてもらう。そこがおい
しいところ。だから、よく、自分の書いた作品に作品より長い説明を
つけたりする人もいますが、作品は作品、書いたらそこに放置して、
かたらず、「勝手に歩いていきなさい!」それを静かに見守る眼差し
のことを創作と呼ぶのかなとも。
 それにしてもそれは終わらない旅、どんな旅になるのか、
楽しみでしかたありません。

HOBO
by: Mr.HOBO | 2009/04/20 08:00 | URL [編集] | page top↑

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