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光明ここにあり

光明ここにあり
わたしの足元照らす
ぐらついた生への誓い
胸をはれ


光明ここにあり
わたしのうなじを照らす
あしたへの道
こぶしを握れ


光明ここにあり
わたしの背中を照らす
躊躇する一歩
かかとを鳴らせ


光明ここにあり
わたしのこころを照らす
わすれた夢に
手をさしのべて


00:21 | VERY GOOD !! | comments (8) | page top↑
ぼちぼち行こか | top | 天使をあざ笑う歌

コメント

#
背中から照らされた光・・・私もいつも意識します。
あしたへの道は結局は自分の影。

『だから怖がるな』と言い聞かせて・・・。

自分は自分でしかなくて、それ以上にもなれなくて。
臆病な私はいつも自分に正直でいようと思ってます。
違う自分で居続けることはとても大変だから。
それで誤解されてもしょうがないと腹をくくって。
(それは社会人になってからのことですが・笑)
道を変えたいと願うなら、先に自分が変わらなくてわ!

光は本当の自分の姿しか映さないような気がします。

勝手ながら(笑)ちょいと身が引き締まる思いがしました。
素敵な文章いつもありがとうございます。
by: そらまめ | 2010/08/19 21:52 | URL [編集] | page top↑
#
おはようございます。
光明、光がさす。
自分自身をも奮い立たせるような言葉
ないものを嘆いても仕方ない
それに負けないぐらいのちからを着けて
前に進んで行く勇気が必要なんでしょうね。
なかなか

しかし

「終わりよければ、すべてよし」といえるような人生を送りたいです。
by: t.gray | 2010/08/20 08:51 | URL [編集] | page top↑
# そらさんへ
コメント遅れました~。
暑いでしょう?そちらも。
ことしはHOBO死んでました、暑いし。
弱気なこころを持ち歩いているとき、望みの光みたいなものが見える
ときがありました。光というものは見出すもので見えるものではないのだと
気づいたのです。これでいいのだ!と言うバカボンのパパは精一杯生きていて、
けしてあきらめの言葉ではないように思います。これでいいのだ!といえる
毎日を、それが『ブルースな毎日』なのだと、このブログを立ち上げたときの
ことを思いだしています。
いつもどうもです、そらさん。
ぼくは今、アルバムにいれる作品づくりで頭いっぱい。
おたがいに頑張りましょう!


HOBO
by: Mr.HOBO | 2010/08/22 13:38 | URL [編集] | page top↑
# t,grayさん
コメント遅くなってすみません。
勇気を持つということは根拠が必要ですよね。
こころのコントロールも、前向きに生きることも、全部、根拠が必要。
いや、ちがうか、根拠なんかいらないのかもしれない。
結果というのは、たとえば人生の結果というものは死ぬ間際にわかるの
でしょうかね?ふだんやっていることを問われるのが人生なら、ぼくは幸福
にはなれないと思います。ふだんよければ結果良し、でなきゃダメなんでしょう?
いくら頑張っても報われないもののほうが多いですよね。でも人生だけはそう
じゃない。ふりかえるのは自分の魂。心の目はごまかせない。やっていることに
ウソがなければ必ず幸福は訪れる。
終わりよければすべて良し、ん~、ふだんよければ終わり良し、とは真逆の
意味?いや、ちがうか。

HOBO
by: Mr.HOBO | 2010/08/22 13:56 | URL [編集] | page top↑
#
こんにちは。暑いですねえ!頭も痛いですよ。

ん~それからHOBOさんのおっしゃられる様に報われない事の方が
多いかなと思います。
でも色々な事があっても、終わりよければ、すべてよし と
おもえる人生であったらという楽観的な私のおもいですかね。人生は不可解ですから。
 ふだんよければ結果よし、という感覚ではありませんね。

by: t.gray | 2010/08/22 15:49 | URL [編集] | page top↑
#
そうですね。
夢を忘れたとき、背中から私たちを照らしてくれる光も弱くなるのかも。
自分がなしえなかったことを嘆いていては、光は弱まりますね。
と言って、なして来たことを振り返って懐かしんでばかりいても
それはそれで、光は細くなる。

今日なすべきことを一つ一つやっていくこと。
それも、足元ばかり見ていては、どこに行くか自分でわからなくなっちゃう。
と言って、遠い先ばかり見てると、転んでしまうから、
少し先の足元を見ながら、一歩一歩進んでいくのがいいのかもしれない。
そしたらいつの間にか、大変長い距離を歩いてきていたことに、
ある時ふっと気づくのだろうな。

私は今、過去を嘆いて、立ち止まっちゃってます。
また、一歩一歩歩いて行かなくちゃな。

HOBOさん、曲作り頑張ってくださいね。
私も夢はあるんだ~。
by: 彼岸花さん | 2010/08/24 02:43 | URL [編集] | page top↑
# t,grayさん
『光明』というのは仏教用語らしいですね。
ここではあくまでも自分自身のこころから発する生への執着心を表現した
かったのですね。生きているかぎり『光明』は出つづける。その意識が
強い者ほど死が近い。時をもてあそぶ者はきっと永生きする。うんざりと
するぐらい生きまくる。死を意識するから、真剣に生を考えるのだと
思いますね。最後に笑っている人はがむしゃらに生きた人ですよ。


HOBO
by: Mr.HOBO | 2010/08/26 13:26 | URL [編集] | page top↑
# 彼岸花さん
やりたいことがたくさんありすぎるので焦りがでるのだと
思います、ぼくの場合は。
楽曲づくりをさぼりすぎました。
どこかに寄り道してたわけでもないんですがね。
まえに彼岸花さんも記事にそのようなことを書いてらっしゃい
ましたが、ぼくという人間が存在していたという確かなものを
残したいのです。それはぼくが創ったもの、表現したもの、ぼくにしか
出来得ないもの。歌はこころに残り続ける。片隅に鳴り響く。
たとえば絵のなかで作業する母親は永遠に生きている。それはその
絵を描いたひとの想いがあるから。ぼくが創ったものを、表現したものを
残したいですね。誰かに宛てたものではない。そこにそれがあればいい。
そんなことを考えています。t.grayさんの、「終わりよければすべて良し」の
気持ちは、『今』がそうなっていないという強い叫びを感じます。
ぼくの「今そうなりたい!」という叫びと同種なんだと、考えるのです。
人間ってやっかいだな。
と思います。


HOBO
by: Mr.HOBO | 2010/08/26 13:53 | URL [編集] | page top↑

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